慶長5年(1600年)、最上家の居城・山形城を目指した直江兼続の軍から、半月に渡り守り抜いた長谷堂城跡です。
長谷堂城跡公園
![長谷堂城跡公園・石碑](../image/connection_p/p_hasedou_ato1.jpg)
![直江本陣から臨む長谷堂城跡](../image/connection_p/hasedou_ato2.jpg)
慶長5年(1600年)、西方では関ヶ原の合戦が行われていたころ、出羽の山形では最上家と上杉家の合戦が行われていました。
長谷堂の合戦と後によばれるこの戦いで、上杉軍の総指揮を取っていた直江兼続は、最上家の居城・山形城を目指し進軍しました。
その際、
山形城を守る要となっていた山城・長谷堂城では最上軍の将・志村伊豆光安が指揮をとり、直江兼続が指揮する上杉軍の攻撃を、約半月の間にわたり守り抜きました。
その後、長谷堂城は1622年に廃城となりました。現在は「長谷堂城跡公園」として整備されています。
長谷堂城趾公園からの眺め
![城跡から見える山形市](../image/connection_p/p_hasedou_ato2.jpg)
この城跡から北東を眺めると、すぐ近くに山形市街を、南東には雄大な蔵王の頂を見る事ができます。
山形市まで自動車で20分程度という距離は、山形城を目の前にした上杉・最上両軍の緊張を感じさせます。