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戦国時代・上杉家の執政・直江兼続の偉業を紹介する専門サイトです。主に米沢での偉業を中心にご紹介します。

米沢移封から17年目に、直江兼続が建立した禅林寺。後に法泉寺と名を改めて現在に至ります。

法泉寺(直江兼続創建のお寺)

法泉寺法泉寺

法泉寺・日本庭園
法泉寺の庭園
 法泉寺は初め禅林寺という名前で、1618年直江兼続が創建しました。
 兼続は足利学校で学ばせていた九山禅師を呼び寄せ、寺内に米沢藩士の子弟を教育するための学問所「禅林文庫」を開設。藩学の基として、後に上杉鷹山が創設した興譲館へと受け継がれました。
兼続が集めた禅林文庫の蔵書は、今でも貴重な文化財として残っています。
 また、庭園は九山禅師が京都天竜寺の名園をまねて造ったと伝えられており、米沢三大名園のひとつになっています。 苔むした地、生い茂る木々。その幽玄な光景は、ひとたび足を踏み入れた者を、街中にいることを忘れさせます。

 現在の法泉寺は、道路を挟んで南の寺院・墓地と北の文殊堂・庭園に分かれています。元はこの南北を隔てる道はありませんでした。直江兼続が創建した当時は、法泉寺は三の丸北西に位置しており、掘立川に掛けられた橋を渡るとすぐに法泉寺の門があったと伝えられています。


法泉寺 境内&周辺
法泉寺文殊堂法泉寺文殊堂
法泉寺・北側の庭園にある文殊堂です。禅林寺(現法泉寺)の絶山和尚が学問所「禅林文庫」の鎮守として、慶安元年(1648年)に創建したと伝えられていますが、寛政・大正と二度の火災にあったため、現在の文殊堂は昭和5年に再建されたものです。
先聖殿 先聖殿
法泉寺庭園の東にある先聖殿です。先聖殿は、孔子を祀っていました。4代藩主上杉綱憲による創建と伝えられられています。当初は「感麟殿」の名でしたが、後に上杉鷹山公により「先聖殿」と改称され、藩校興譲館の正面に置かれました。その後移転を繰り返し、昭和に入り、法泉寺庭園内に移されました。

薬師堂 法泉寺東を流れる掘立川(文殊橋より)
 松川上流の猿尾堰から取り入れられた水が流れる堀立川が法泉寺東を流れています。直江兼続は三の丸の西と北を流れる堀立川を掘り下げ一部流れを変えて、西の外堀の代用にしました。有事の際は川の数箇所をせき止め、増水させて堀にする考えだったといわれています。
周防殿堰 周防殿堰
 法泉寺近隣にある、堀立川に作られた堰です。名前の由来は清野周防守長範の下屋敷が近くにあった事から名付けらたといわれています。ここから引かれた水は、清野家下屋敷の生活用水となり、また北の塩野村を潤しました。
 この堰は、堀立川の水を塞き止めて堀にした場合、一定以上に水が溢れないように水量調整を行うために造られた堰の一つではないかという説もあります。