米沢の町づくりの際、直江兼続が作った堰の一つである帯刀堰。ここから取り入れた水は木場川として現在も米沢の西北部を潤しています。
帯刀堰(中・下級家臣団の生活用水)
鬼面川より取り入れられた水・木場川上流
帯刀堰と木場川の由来を伝える碑
写真上部の林向こうを鬼面川が流れています。
帯刀堰と木場川の由来を伝える碑
帯刀堰近辺にある、堰と木場川の由来を後に伝えるために平成元年に建立された碑。
直江兼続が家臣の松本助兵衛高次に命じて慶長15年(1610年)、鬼面川から水を引くために造らせた堰です。
元々は、西川堰と呼ばれていましたが、武士達が刀を腰に差して労役に従事した事から、後に『帯刀堰』と名を改めました。
帯刀堰から引かれた水は木場川を通って米沢の西北部の農業用水として、西北部に住む中・下級家臣団の生活用水として使われました。
また、この木場川は、米沢藩の薪の供給手段として木流しによる薪の運搬集積に利用されました。その事にちなんで、木場川と呼ばれたと言われています。
木場川は現在も、米沢の西北部の農業用水として、冬の消融雪の手段として米沢の生活を支えています。
元々は、西川堰と呼ばれていましたが、武士達が刀を腰に差して労役に従事した事から、後に『帯刀堰』と名を改めました。
帯刀堰から引かれた水は木場川を通って米沢の西北部の農業用水として、西北部に住む中・下級家臣団の生活用水として使われました。
また、この木場川は、米沢藩の薪の供給手段として木流しによる薪の運搬集積に利用されました。その事にちなんで、木場川と呼ばれたと言われています。
木場川は現在も、米沢の西北部の農業用水として、冬の消融雪の手段として米沢の生活を支えています。
帯刀堰−周辺の景色−
鬼面川(帯刀堰・取水口近辺)
帯刀堰がある鬼面川。取水口はこの写真の左下と思われます。
鬼面川はかなり水量のある川で、近辺には果樹園・田畑が広がっています。
鬼面川はかなり水量のある川で、近辺には果樹園・田畑が広がっています。
帯刀堰近くにある水神碑
鬼面川・帯刀堰取水口近くにある水神の碑。
左の小さな碑が元々あった水神の碑。鬼面川頭首工事の際に紛失したものが、平成6年9月、2000m下流で発見され、現在の場所へ再建立されたものです。
左の小さな碑が元々あった水神の碑。鬼面川頭首工事の際に紛失したものが、平成6年9月、2000m下流で発見され、現在の場所へ再建立されたものです。