戦国時代・上杉家の執政・直江兼続の偉業を紹介する専門サイトです。主に米沢での偉業を中心にご紹介します。
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直江石堤のある河川敷が公園として整備されています。直江堤公園には、直江兼続の偉業を紹介する石碑があります。
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直江堤公園−石碑散歩道2−
直江公園・石碑2
8-2 上杉氏の移封(越後から会津へ)
景勝が会津にいたのは、わずか3年でした。全国を統一して将軍になりたい徳川家康と、家康を倒そうとする石田三成派の戦い=関ヶ原の合戦=で、景勝は石田方につきます。しかし、石田方が負けたので、上杉氏は領地を4分の1に削られ、米沢・伊達・信夫3郡30万石の領主として、慶長6年(1601)米沢へ移されるのです。
従うものは6000余の家臣とその家族、職人、商人、僧など、およそ3万人と伝えられます。
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石碑散歩道3
(直江堤公園に100m毎に設置されている石碑プレートより)
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