出羽亀岡文殊堂に奉納された直江兼続の漢詩「元日」は、お正月の情景を詠んだものです。
直江兼続の作品7首「元日」
元旦
がんじつ
元日
楊柳其賓花主人
ようりゅうはそのひん はなはしゅじん
楊柳は其の賓 花は主人
屠蘇挙盞祝元辰
とそさかずきをあげて げんしんをしゅくす
屠蘇盞を挙げて 元辰を祝す
迎新送旧換桃符
しんをむかえきゅうをおくって どうふをかう
新を迎え旧を送って 桃符を換う
万戸千門一様春
ばんこせんもん いちようのはる
万戸千門 一様の春
この漢詩「元日」は直江が慶長7年(1602)2月27日、現在の高畠の亀岡文殊大聖寺の文殊堂で催された詩歌の会で「亀岡文殊堂奉納詩歌百選」の一首として詠んだもの。
この詩が詠まれた慶長7年という年は、主君上杉景勝が「関が原」の敗戦の責めを受けて米沢30万石に削封され米沢に入部した慶長6年9月から、まだ半年足らずの時期にあたる。上杉景勝は越後以来の家臣団6,000余騎をそのまま連れてきたといわれており、さらに家臣団の家族・家来などが移住をはじめた大変な混乱の世情の中と想像される。短期間に、しかも冬の米沢の厳しい季節にあたり、陣頭をきって指揮を執った直江にとっての元日はその実、1年前の敗戦の屈辱と徳川による削封のみじめさを胸に秘めての決して穏やかな新春などではなく、次の時代の「米沢の城下町づくり」への並々ならない決意と覚悟の日々であったろうと思われる。
徳川に対する忍従と屈辱のなか、会津からの大移住と混乱の時期にもかかわらず「万戸千門一様春」と詠むのは、家臣の侍も、職人も民百姓もすべて春の光を浴びて平穏で安らかであってほしいという強い願いが込められており、さらに今年も新年を迎えることができての安堵の気持ちも感じられる。
※解釈文・「花に背いて帰る」(野村研三著 米沢御堀端史蹟保存会発行)より転用させていただきました。
※参考資料・「直江兼続伝」(渡部恵吉・小野栄・遠藤綺一郎共著 酸漿出版発行)
※参考資料・「直江兼続伝」(渡部恵吉・小野栄・遠藤綺一郎共著 酸漿出版発行)